2010年05月17日

公私の分別


  公私の別を曖昧(あいまい)にすることが不正の温床になり、物事の判断が狂う

 原因になる。 ( )

  公は私の集まりであり、公の利益は私の利益に(つな)がる。

  私の利益を優先して、公の利益に(つな)がることは少ない。

  私を中心的な考え方にすると、公を利用し、やがて社会は乱れ、治 ( )

 安は不安定になる。 ( )

  したがって、神、仏も公の利益を中心に物事の運営を(はか)っておられ

 るのである。 ( )

  神、仏の智慧・力は、個々の利より公の利の為に大きく(はたら)かれ、公

 に尽くすという考え方、忠誠心が重要となる。 ( )

  物事の動きは、公私、大小を問わず、ある一点を中心に廻っている。 ( )

  これを万物の求心運動といい、求心運動を支えるのが忠誠心である。 ( )

  国や公共団体、会社、その他の組織は、その長が中心であるが、こ ( )

 の長は、仮の中心であり、長としては所属の組織に対して忠誠を尽く ( )

 すことは勿論のこと、世の中全体の真の中心は神、仏であり、大自然 ( )

 の法則に忠誠・義の心を持たなくてはならない。 ( )

  この考えが失われると、社会悪を招く組織が出来上がってしまう。 ( )

  また、時とともに組織はひずみ、混乱を生じ、次の中心を求めて(きょう)

 (せい)運動が起こる。

  その時々、それぞれ中心が変わっても、それは仮である。 ( )

  たとえ中心が仮であっても、その時の中心に向かって志向する精神 ( )

 が忠誠心になる。 ( )

  義には、道理、人の行うべき筋道という意味がある。 ( )

  義の字解は、「羊」と「我」の合字。 ( )

  羊のような従順な性格の心を上にして、我を下に置くという姿勢を ( )

 表す。 ( )

  自分(我)を下にして、社会公共の為に尽くすことである。 ( )

  一人一人が義を心掛ければ、住み良い社会は自ずと出来るものであ ( )

 る。 ( )



出典 : 大自然の理

posted by しんちゃん at 19:43| 公私の分別 | 更新情報をチェックする